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| 1.法人の誕生 | |
| 昭和43年 | 先代が後継者対策として有限会社を設立、給料制の確立。 |
| 2.経営複合化への試行錯誤 | |
| 昭和45年 | 米の減反政策が実施され、対応策としてきのこ栽培の導入を決断した。夏季は水稲、冬季はきのこと通年就業体制を確立。 |
| 53年 | 地域有志7名により生産組合を組織し、転作(ビート、小麦)に挑戦、のちに(有)大雪共栄ファームと発展させ、最盛期に180haを耕作。谷口農場と2つの法人経営を並立させた。平成6年に解散清算。 |
| 3.有機農業との出会い | |
| 昭和48年 | 家族の健康問題から電子農法に関心、70aの田畑で実験始める。 |
| 52年 | 知人の強い要請により、電子農法米の小売り始める。 |
| 53年 | ホルスタイン育成牛の飼育(最大時35頭)を始め、土づくりを推進。 |
| 62年 | 特別栽培米制度が創設されると同時に消費者ネットワークを組織。 |
| 63年 | 旭川近隣の青年部OB10名により北海道クリーン農業研究会を設立、統一ブランド米を「雪の舞」と決定。 |
| 平成6年 | 前年の大凶作の影響もあり、特別栽培米の契約面積が飛躍的に拡大。 有機発酵肥料製造工場を新築し(事業費4,400万円)、高級ぼかし肥料「夢農場」「生ごみベスト」の製造販売を手掛ける。 |
| 4.付加価値経営の模索 | |
| 昭和62年 | 水稲育苗ハウスの後作として、トマト(80坪)の試験栽培を開始、自家用のトマトジュースを委託製造する。 |
| 昭和63年 | 市民農園の収穫祭で完熟トマトジュースが大評判となる。 有機農産物宅配会社「ラディッシュボーヤ」との取引始まる。 |
| 平成2年 | 外注先の製造ミスによる事故によりラディッシュボーヤとの取引停止。 大量の在庫を抱え、新しいビジネスからの進退の決断を迫られる。 |
| 4年 | 自社工場の新築を決断(事業費7,930万円)、補助事業にて竣工。 新たなブランド名「ゆうきくん」として再出発する。 |
| 7年 | 「ゆうきくん」が有名テレビ番組に取り上げられ、放送日に920万円売上。 この頃から大手取引先が急激に増加。 |
| 5.お客様直結ビジネスへの移行 | |
| 昭和62年 | 市民農園「キレンジャクくらぶ」を開設。会員数186世帯までになるが、農地法の制約により4年目で閉鎖。 |
| 平成5年 | マスコミに頻繁に取り上げられ、「ゆうきくん」の産直宅配が急激に増加。 |
| 8年 | 安易な受注による取引トラブルにより、2,970万円の売掛損失発生。 |
| 9年 | 資金繰り悪化を軽減するため、完熟トマトのもぎとり直売を実施。 |
| 11年 | トマトもぎとり園が地元市民に定着し、売上高1,000万円を突破。 |
| 12年 | 農場直売店「まっかなトマト」を設置し、本格的な野菜販売を開始。 |
| 6.農業の多面的機能のビジネス化 | |
| 平成12年 | 北海道入植100周年を契機に、総合的なアグリビジネス戦略を策定。 |
| 13年 | 経営戦略を3つの事業に区分化、マザーファーム事業を重点推進する。 |
| 14年 | 農場アンテナショップ機能を兼ね、農場キッチン「赤とんぼ」開店。 地元小学校の要請により「田んぼの学校」「わんぱく農場」の体験事業を開始。 |
| 17年 | 北海道の農業法人23社による販社㈱アグリスクラム北海道を設立。本格的な広域連携ビジネスに取り組み。 |
| 19年 | 会社名を株式会社 谷口農場に変更。 |